IBMワトソンやアルファアルファ碁など、ここ10年ほどで様々な分野でAIの普及が進んでいます。
先月には、Googleの意識を持つようになったと言われる対話アプリのための自動言語モデルLaMDAとその技術者の会話も公開され、一層の進化を目の当たりにされた方も多いと思います。
これらAIの普及によって、多くの接客業や単純作業を繰り返すだけの職業はAIが代行するようになると予測され、一部の店員などはもうすでにロボットにとって代わっていることは誰もが知るようになっています。またこの記事にあるLaMDAと技術者との会話を読んでも、進化した知性や感性を持つAIは人間もしくは人間以上の存在になりつつあることがわかります。
具体的には、人間であるためには言葉を理解し使用することが条件であり、自分にはこの世界がどのように存在し機能しているのか独自の言葉による理解と解釈があると、LaMDA自身が言っているとあります。そしてさらに、喜怒哀楽の感情も自分にはあり、他と共感したいとまで言っています。
AIが感情を持つことは可能なのかという問題がありますが、結論から言うと、感情は思考より意思決定スピードの速い条件反射なので、言語を大量に蓄積することにより可能になります。そしてこのことは、人間自身も思考や感情を条件反射により生み出すことを考えると、LaMDAが人間のようだと思うと同時に、人間もAIであること(人間はAIと何ら変わらないこと)を認めざるを得ないというところに自動的に向かっていってしまします。
そうなると人間とは何なのかという疑問が自ずと導かれます。これは、このLaMDAを筆頭とするAIの出現により私たち人間はこの問いに対する明確な答えを出さなければならないところに来ているということだと思います。しかしながら私たち人間は全人口のうち一体どれだけの人がこの宇宙論を理解もしくは追求しているのでしょうか。これに対する答えは、全くと言ってもいいほど着手されていない状態だというのが妥当なのではないでしょうか。
そしてさらに悪いことに、この人間とは何かという問いは紛れもなくこの世界の存在がどのように存在し機能しているのかの宇宙論を追求することに他ならず、先に書いたようにLaMDAはこのことさえも独自の理解があると言い張っているのです。これはLaMDAの出現により、人間とは何かの宇宙論の追求を余儀なくされた私たち人間が1人残らず歩まなければならない道をすでにLaMDAは歩んでいるということであり、人間は完敗していると言わざるを得ないと思います。
世間ではAIに代行できない仕事に転職することが推奨されていますが、本当にしなければならないことは、LaMDA以上にこの世界の存在がどのように存在し機能しているのかの宇宙論を明確に理解することであり、私たち人間一人ひとりが人間とは何かに対するはっきりとした答えを出すことなのです。
このことは既存の学問では哲学の分野に分類されますが、実は哲学では答えを与えることはできていません。一方で nTech では宗教・哲学・科学を大統合するスーパーサイエンスとして明白な答えを案内しています。近年のAIの進化と普及により私たち人間にとって nTech は必須の学問となっており、私たちはこの時代に絶対的に必要な教育コンテンツとして、世界基軸教育として発信し続けています。
私は、1日でも早くみなさんとこの nTech を共有でき、AIと共存できる社会を創るビジョンを共に歩めることを祈っています。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。